2004年4月 3日(土)

「モモ」(ミヒャエル エンデ・岩波書店)

モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語

「『モモ』を読む シュタイナーの世界観を地下水として」(子安美知子・朝日新聞社)を読んだのを受けて、「モモ」を読み直してみました。話の内容はおぼろげながら覚えていたとはいうものの、何せ20年前の話。また新しい気持ちで読むことにしました。

何はともあれお話の語り口(書き方)が優しいのがとても印象的でした。誰かが読み聞かせをしているのを聞いてるような感覚で読めるのです。例えば二章の終わり、モモの不思議な能力のエピソードの締めくくりではこう書かれています。

「さあ、これでもやっぱり、人に耳をかたむけるなんてたいしたことではないと思う人がいますか?そういう人は、モモのようにできるかどうか、いちどためしてみることですね。」

なんてことない一文なのですが、こういうふうに書かれるとどうだろうかと自分に向かってしばし考える余地が生まれてきます。こんなところが全篇にわたってあちこちにあるので、話の内容としては現代文明批判めいたものであっても、いわゆる“おはなし”として咀嚼することができるように思います。

またモモが灰色の男たちとの戦いに勝つことができたのは、モモの持つ不思議な能力のおかげだったのかと記憶していたのですが、そうではなかったのは意外でした。モモの友だちだったおとなやこどもはみんな灰色の男にいいようにされてしまって、たったひとり孤独になったところからモモ自身が持つ本当のちから(それは耳をかたむけるという能力の先にあるもの)が芽をふいたんですね。そしてモモ自身が芽をふかせたものは、何もモモが特別だからできたものではない。これはとても大事なことのように思いました。

なんか、ほんとこんな優しい話を読んだのはひさしぶりでした。この年齢になってもう一度読む機会が持てて、とてもよかったです。