「街の灯」を読んだのにつられて、「秋の花」「六の宮の姫君」「夜の蝉」と続けて再読。
円紫と《私》シリーズの中では「秋の花」がお気に入りで何度か読み直している。今回心を捉えたのは、主人公である《私》が大学の体育の授業でトランポリンをやったあとに出てくる一節で、
「その時には、何だかふっと、私に子供ができ、その子も大きくなってしまった頃、夜の台所の辺りで、こんな情景をわけもなく思い出しそうな気がした。」
というところ。なぜここにひかれたかというのを説明すると難しいけど、自分の子供をみて自分のことを思い出し、さらに子供のことをみて自分のことを思い出しているという親のことを思い出したりするという二重の感覚が込められてるように思ったから。実際、親もいて子供もいる真ん中のひとというのはなかなか立場としておかしみがあると思います。ちなみに最初に読んだときの感想でひいているのは全然違うところなのね。
もっとオドロキは「秋の花」より「六の宮の姫君」のほうがなぜかずっとぐっときた。菊地寛の小説を読んだことがない僕でも読みたくなったぐらいに。最初はこんなこと書いている。あぁもったいないぞ。これを読めてないのは。やっぱり再読って面白いです。
今回思ったのは「秋の花」にしても「六の宮の姫君」にしても、実は「家族」というテーマでも読み解けるものなんだということ。「夜の蝉」の中の「夜の蝉」なんかは、《私》にとっての姉という存在についてダイレクトに描かれているけども、その後の作品でもその姿勢は変わらないんだということを感じた次第。