風使い通信・屋久島紀行/はじめてのときめき☆はじめての屋久島
1992年8月7日(金)
天気:くもり時々雨
行程:京都→大阪→鹿児島→屋久島

 出発前日の夜に、先行して現地(屋久島)に入っている酒井氏から電話があった。台風が近づいているのだ。屋久島の付近は8月から9月にかけての台風の通り道である。雨が多いことで知られる屋久島であるが、台風まで来られたのではそもそも近づきようがない。
 その朝は7時過ぎに起床した。とりあえず天気予報を聞いて台風の動向を調べるが、どうも現状はよくわからない。まだ九州本土に接近していないので、それほど大きく取り扱われなかったのが原因かもしれない。

 京都から大阪空港へは、京都駅まで出て空港行きのリムジンバスに乗るのが普通だ。が、この日は名神高速道路の渋滞を懸念して新大阪までJRで出ることにした。そもそもこれが間違いだった。時刻は8時を回っている。
 東海道線の案内表示版を見ると行き先案内等が全く表示されていない、「?」と思いながらもホームにやって来た快速に乗車。列車が出発した後、車掌の車内放送で貨物列車故障によりダイヤが大幅に乱れていることを知る。うげげ。しかし乗ってしまったものはしかたない。快調に走ってくれることを祈ろう...。高槻で先行する快速に乗り継ぐ。車内は列車の遅れと朝のラッシュが重なり混雑で身動きがとれない。8時40分になんとか新大阪に到着。

 やれやれと思いつつ空港バス乗り場を目指すと、なんと長蛇の列。夏休み期間だからきっと増発しているだろう、というのは甘い考えだった。10分ごとにしかバスはやってこないのだ。飛行機の出発時刻は9時50分。せめて9時30分までには空港に着かなければ...一難去ってまた一難。焦りが増す。結局2台見送って3台目でやっと乗れる。時刻は9時25分。空港まで25分。間に合ってもぎりぎり出発時刻。焦りと恐怖、そして諦めの(笑)の時刻が過ぎていく...。

 9時47分空港到着。出発予定時刻3分前。バスから強引に荷物を引きずり出して全日空のカウンターに飛んでいき、お姉さんに航空券を見せる。てきぱきと手続きをしてくれた。なんと私の席はまだあった!お姉さん曰く、

「もうすぐドアが閉まりますので搭乗ゲートに急いでください。」

 走る走る走る。空港内を登山ザックを担いで全力疾走。これぞ飛行機の飛び乗りか。すると...搭乗ゲート付近に行くと、まだ人がうじゃうじゃ(別に竹本泉ではない)いるでわないか。どうも機材都合により出発が遅れているらしい。いやはや実にらっきーである。今から思えばほんとに良く乗れたものだ。

 結局、定刻より30分遅れて10時20分にANA543鹿児島行は離陸。念のためにスチュワーデスさんに鹿児島の天気を聞いてみると気温29゜C、天候は晴れとのことであった。座席に身を落ちつけて一眠りする間に鹿児島空港に着陸。これでどうにか鹿児島までは来れたわけだ。

 まずはANA・JAS・JAL各社の出発カウンターで状況を確認。沖縄・徳之島・奄美大島便は全て欠航の表示。屋久島・種子島便はとりあえず運行予定らしく、空席待ち受付の表示が出ている。僕が乗るのは屋久島行きの最終便JAC505。時間が遅いほど当然欠航となる可能性が大なので、とりあえず乗り継ぎ便になるJAC503の一般空席待ちの番号を取得する。しかし番号は38番。ほぼ絶望である。現地に問い合わせると、雨は降っていないとのこと。これ以上悪くならないことを望みたいが、状況はきびしくなる一方である。念のためにカウンターに問い合わせると、JAC505は運行予定で14時15分より搭乗手続き開始とのこと。昼食を取って屋上の送迎デッキで時間をつぶす。デッキでは空港職員が慌ただしく台風に備えるための準備をしている。風も強くなり、雨もパラついてきた。台風は確実に迫っている...。

 14時15分。カウンターにて搭乗手続きを済ませる。ところが出発案内の表示は天候調査に変わっていた。15時頃に運行の可否を決定するとのアナウンスがある。再び現地に連絡。天候はさほど悪くない模様。あとはJACがどう判断するかに委ねられている。不安が募る。出発ボードにはむなしく運行「未定」の文字...。

 15時。まだアナウンスはない。どうなるのか。出るのか出ないのか。同じように出発を待つ人たちが出発ボードの前に集まってくる。15時5分「未定」が「定刻」の表示に。やった!搭乗案内のアナウンスが入る。強風の中、慌ただしくYS-11に搭乗。ターボプロップエンジンが唸りをあげて鹿児島空港を無事あとにする。ただしこんなスチュワーデスのアナウンスがあった点を除いては...。

「当機は屋久島空港の天候によっては鹿児島空港に引き返すこともございますので、予めご了承ください。」

 飛び立ってみたものの、このフライトは一生忘れられない45分となった。離陸直後から激しい横揺れはもちろん、エアポケットにもズボズボとはまる。まさに地に足が着かないとはこのことである。それも2回3回ならともかく、延々40分。額から汗が滴り落ちる。もちろん機内が少々暑かったこともあるが、それだけではなかった。足がこわばってくる。気分を落ちつかせようとCDを聞くが、聞こえているだけで決して聞いてはいない。ただスチュワーデスさんの営業スマイルだけが頼りであった。窓の外を見ると翼がきしんでいる。眼下には白波がはっきり見える海が広がっていた。落ちるとしたら海の上だろうか...こういう時はついつまらないことばかり考えてしまうものだ。ようやく雲の上に出て安定したのも束の間、また雲の下に飛行機は切り込んでいく。飛び立ってから45分。ようやく屋久島が見えてきた。着陸体制に入るとのアナウンス。これで運命は決まった。無事に着陸するか、海の藻屑と消えるか(笑)。もう鹿児島に引き返すことはない。
 徐々に高度を下げる、というよりは「落ちている」という方が的確な表現だろう。もう海がすぐ眼下に迫っている。突然滑走路が見えたかと思うとグランディング。弾みで身体が大きく左に投げ出され、壁に頭をぶつける。少々痛い思いをしたが...やっぱり生きてるって素晴らしい(笑)。

 タラップを降りて屋久島の大地に一歩を踏み出す。しかしそこには嬉しさというものは全くなかった。緊張の糸が切れてどっと疲れが出る。出迎えに酒井氏が来てくれていたが、ほとんど生気を失っていたので「すごく揺れた」みたいなことを幾度もうわごとのようにつぶやいていた、らしい。

 宿は尾之間(おのあいだ)温泉の旅荘「屋久島」というところであった。温泉に入り疲れ切った身体を癒す。

「温泉はいいねぇ。温泉は人類が生み出した英知の極みだよ。」

なんて言うセリフは、間違っても言えるわけはなかったが(笑)。

 台風の接近をよそにしばし夕食に舌鼓を打つ。ここで注意しておかなくてはいけないことがある。現地の醤油は総じて甘い。原料表示を見ると、ちゃんと砂糖が入っている。大抵の宿では言えば普通の醤油を出してくれるのだが、郷に入れば郷に従え。とりあえず地元の醤油でお刺身をいただく。確かに違和感があるが、決してまずいわけではない。慣れればどうってことはなさそうである。珍しいところではトビウオの天ぷらが印象的だった。これはまぁまぁといったところ。総じてここ旅荘「屋久島」の料理はおいしかったと思う。
 食後はのんびりと過ごす。明日は台風で動けないのはわかっているので、明日への準備などはない。こうして屋久島の初日が過ぎていく。。。zzz・・・


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