読書日記(メメント・モーリ)
by 鈴木 宏枝
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メメント・モーリ(めめんと・もーり)
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原題 | (N/A) | 読んだ日 | 2001.5.28 | ||
著者 | おのりえん(おのりえん) | 訳者 | (N/A) | 画家 | (N/A) |
出版社 | 理論社 | 出版年月日 | 2001.3 | 原作出版年 | (N/A) |
感想 | 家族の「鬼ッ子」だと思っているほほ(ある意味では、マチルダだってこの子の系譜)と「鬼の国」には奇妙なシンクロがある。もちろん、シンクロというのはこの作品のキーワードで、昼と夜、地面の上と下、生と死、大極図のその係わり合いが、あからさまなほどまっすぐに描かれている。
「押入れの中の骸骨」(=家の恥)になりたくない気持ちのせいで、鬼のヨロイに引き寄せられて、鬼の国に連れていかれたほほは、その国が、ある同じ1日(子ども時代と大人時代のはざかいという「時」にまつわる)を繰り返していることを知る。 私は、実は、このような観念的な作品はあまり好きではなく、自分で書いて自分で解説しているみたいな気になってしまうのだけど・・・。なぜだろう、特に、中盤以降、すごく入り込んで読んでしまった。昔語りのような文体も、そののんびりとしたテンポに合っているのだろうか。 年齢や社会的存在としての子どもではなく、親に相対するものとしての子ども、コンベンショナルな子ども像、子ども時代観。でも、ヨロイのほぐれた心も、あるべき場所に落ち着いたフロー・ヒールも、これからをやっと「予感」できるようになるモーリも、それぞれに共感できたし、だんだんに世界の生気が弱っていくという描写や「ありのままの生」がどういうものかという作者の見方も、セミの喩えも、わかりやすかった。 読んでいるときに、なんとなく思ったのだけど、フロー・ヒールには、アトピーとかアレルギーとか、そういう症状を持つ人が重なっている、のかもしれない。 あら捜しをしようと思えば、いくらでもできてしまうのだけど、私は、この作品を否定したくない。 |