読書日記(ビリー・ジョーの大地)
by 鈴木 宏枝
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ビリー・ジョーの大地(びりー・じょーのだいち)
原題Out of the Dust読んだ日2001.4.22
著者Karen Hesse(カレン・ヘス)訳者伊藤比呂美画家(N/A)
出版社理論社出版年月日2001.3原作出版年1997
感想 英語で書かれた詩の形式の物語を、日本語で読んでこんなに感動できるとは思わなかった。さすが伊藤比呂美と思ったら、思春期のお嬢さんも下訳に加わったとのこと。でも、その状況から思い描けるカッコ良さとは無縁のじたばた(が後書きから伝わってきた)が、ビリー・ジョー自身のじたばたと重なっているように思え、それゆえの言葉が立ち上って、心をしっかりとらえられた。
 ビリー・ジョーは、ピアノがめちゃくちゃうまい女の子である。だが、土嵐、恐慌といった外的状況に加え、不注意からの火事と、母親の悲惨な死で、状況が一変する。火事のきっかけを作った父親を許せない気持ちを抱えたままの暮らしの中で、これでもかというほどの苛酷なティーネイジを過ごしている。母さんの10ペンスを教会に出してしまったときのこと、母親の強烈な出産と死、父とのすれ違いと、父の側にある語られざる寡黙な辛苦。胸がずきずきするような場面もあった。
 最後になって光明がともり、感謝祭に食べて食べて食べまくる場面があり、そして、そこにクランベリーソースがなかった、というところがいい。父親と再婚することになるルイーズには、『のっぽのサラ』も思い出す。<かあさんの骨は反対しませんでした。/ あたしの骨も反対しませんでした。>という詩句がすごく印象的である。
 苛酷で、立ち上がっても立ち上がっても、打ちのめされるような状況下で、物語の半ばあたりでは、ビリー・ジョーや父さんが、虐待されている子どもや女性のように、希望を持つ力すら奪われたのではないか、麻痺してしまったのではないか、とも考えた。だけど、そうではなかった。父さんの掘った池、だんだん動かすことを覚え始めたビリー・ジョーの手。「だんだん」が必要だった。『怒りの葡萄』と『ビリー・ジョーの大地』を比べたときに、文学と児童文学の間に、かすかではあるがたしかにありそうな境界線のごときものが、見えそうな気がする。


鈴木 宏枝
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