読書日記(児童文学最終講義 しあわせな大詰めを求めて)
by 鈴木 宏枝
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児童文学最終講義 しあわせな大詰めを求めて(じどうぶんがくさいしゅうこうぎ しあわせなおおづめをもとめて)
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原題 | (N/A) | 読んだ日 | 2001.11.15 | ||
著者 | 猪熊葉子(いのくまようこ) | 訳者 | (N/A) | 画家 | (N/A) |
出版社 | すえもりブックス | 出版年月日 | 2001.10.25 | 原作出版年 | (N/A) |
感想 | 1999年2月6日に、白百合女子大学で行われた猪熊先生の最終講義は、難しい内容ではないのだけど、先生の一番奥底から出てきて私たちに届く言葉がすごく深いお話だった。そのときは、お母様の葛原妙子さんとの思い出や母娘の様々のお話に関心がいって、先生の秘めた部分を伺ったことが印象深かったのだけど、今回、舟越桂さんの素晴らしい装丁で本になった講義を読むと、トーキン先生に聞けなかったというあれこれや、児童文学にいろんなベクトルで何度でも向かっていく、研究をめぐる部分を、改めておもしろく感じた。しあわせな大詰めというのは、トーキンの言葉だったか。ファンタジーや児童文学は、ひとつの特質として、しあわせな大詰めを保持できるという論。これは、まことしあわせな文学。
「神の手」に導かれていくというラストには、不思議なことに涙が出てきそうになった。その真摯な感謝の中でこそ、先生はresponssibility=神への応答として、児童文学の研究や翻訳に向かってきたのではないだろうか。 随所のユーモアも格別。私は、1999年には須賀敦子さんを知らずに、そのお名前を右から左に抜けさせていたのだけど、須賀さんという人も知ってからこの本を読んで改めて色々なつながりに感銘を受けた。美智子様といい、混乱の時代に最先端を気負いなく過ごし、自らの道にえにしを持った女性たちのうつくしさと、知性と優しさに裏付けられたユーモアが、書き言葉でまた良かった。 |